元・不登校児が不登校を語るママになった話
こんばんは♡
ママハタ東京葛西校代表のささかなです
10月、11月と気候も良く開催がたくさん!
記事にしたいことが、もう盛り沢山!!
とっても嬉しい悲鳴ですが、なかなかアウトプットする時間がなくモヤモヤ…
ブログって自分の思想を書けるから、書いたあとスッキリするんですよね〜
でも、ある程度の時間が必要なので、寝かしつけてそのまま朝まで添い寝とかよくあるささかなは、定期的に書けてなくて残念(^_^;)
先日、不登校を語る・聴く会に3歳娘ちゃんと行ってきました
13:30〜17:00まで3時間半
娘ちゃんにはどうかなぁって思ったけど、『お子さん連れいいですよ』と、温かいお声を頂き参加を決めた
どうしても参加したかった
そして、娘ちゃんと参加したかった
ささかなは中学一年のとき不登校だった
小さないじめがきっかけで、人間不信になり
学校に行かなくなった
学校に行かないとますます人間不信になるんだよね?
ささかなが不登校だったのは25年前
当時はフリースクールやホームスクールという概念もなく、学校に行くか行かないかだった
高校や大学に進むには、社会に出て働くには、中学に戻るしかなかったんだよね
当時は、児童相談所に不登校の子たちが集まる月一の集まりがあってスポーツしたりしてた
みんな自分の学校に居場所はないけど
そこでは友達を見つけて楽しそうだった
ささかなは『私もここに通うのかな?』って思いながらその様子を見てた
すると、私の脚元にバスケットボールが転がって来た
そのボールを拾い上げると、目の前にリーダーと思しきお兄さんが立ってた
『はい、どうぞ』ってボールを渡したら
そのお兄さんは私から目をそらしながら
『ありがとう…』と小さく呟いた
ささかなは、目をそらす姿から
『あ、私も同じなんだ。自分から友達や先生を避けてたんだ。』って思ったんだ
そこは私の通う場所ではない
私の通う場所は中学校だ
と決めて、中2の春から不登校を辞めた
それからは、休み休みだけど学校には通った
もちろん、心無い言葉で攻めてくる輩もいたけど耐えた
どうしても、つらくて悲しいときもあった
親に当たったり、喧嘩したり、夜中に家出したり
特に母に向かってキツイ言葉を吐いたことも
『お母さんの育て方が悪かったからこうなったんだよ』ってヒトのせいにしていた
母は、受け止めてくれていたんだと、親になるとよく分かったよ
『早くここから抜け出して高校生になりたい』その一心で頑張って勉強した
休んでた頃はまったく勉強もしてなかったら学年で下の方だったけど
通い出してからは、遅れを取り戻そうと勉強を頑張り、学年で上の方になった
そうすると口撃してくる輩も減った
時代は変わり
学校に通うという選択肢だけではなくなっている
他にもいろんな方法で学ぶことがことできるし、すべてオールマイティーにできることこそが素晴らしいといった、日本的な考えは薄らぎつつあると思う
それよりも、その子の一番好きなことを伸ばすこと、それが仕事になる時代なんだよと
時代の変化に対応できる親でいたい
ママになって、娘ちゃんの前に不登校の話をするのは初めてだった
私の話をしたのを見届けてから、娘ちゃんは席を立って遊び出した
意味は分かってないかもしれないけど
励ましてくれてたのかなぁって思う
今回、たくさんの不登校のお子さんを持つママさんが参加されていた
親御さんの揺れ動く感情、聞けて良かった
親御さんの子どもを大切に思う気持ち
それはしっかりと伝わっているなって
今は素直に出せなくても
いつかきっと分かり合える
元・不登校児である私がママしてる姿って
ちょっとだけでもお子さんたちの未来を感じれたら嬉しいなと思った!
会の世話人をしてくださった方が、会の間も娘ちゃんの遊び相手をして下さったり、娘ちゃんもその方と楽しく遊ばせて頂き、まったく飽きることなく最後まで参加!
ロコさん、娘ちゃん
お陰様でしっかりとお話聴けたよ
本当に感謝です!!
阿闍梨餅うまい
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